天皇陛下の警護(1)

公務員勤務時代に天皇陛下の警護をしたことがあります。

その話は後日するとして、

約800年前の先祖も、
『後白河法皇』、『後鳥羽天皇』の警護をしたそうです。

昔、地方の武士は3年の任期で、
交替で天皇を警護していたそうです。

筑後(現在の福岡・八女市)の
猫尾城・城主をしてた先祖の
『黒木大蔵大輔源助能(黒木助能)(源助能)
(調助能)(調宿禰祐能)』も、

1186年、
壇ノ浦の戦いの翌年で都がまだ、
騒然としていた時に、当番に当たりました。

笛が得意で非番の時はよく笛を吹いていたので、
都で評判があったそうです。

貴族の間でもファンが増え、

特に、笛が得意だった
『徳大寺 実定』と懇意な間柄となったそうです。

任期が終る頃、『後白河法皇』と『後鳥羽天皇』が評判を聞かれ、
笛を聞きたいと所望されました。

当時は天皇より武士はかなり身分が低かったので、
直接会うことが出来ませんでしたので、
部屋を何ヶも隔てた所で笛を吹きました。

すると、『後白河法皇』と『後鳥羽天皇』は、
期待はずれだったと言われました。

笛には自信があったので、
直接、笛を聞いてもらえたら、
感動してもらえると訴えました。

貴族たちのファン、特に徳大寺氏の力で、
一時的に「従五位下」の位に身分を
上げてもらうことになり、
直接聞いてもらえるようになりました。

その結果、『後白河法皇』と『後鳥羽天皇』はものすごく感動され、
前回の発言を撤回され、

「調一族なので、名前の通り、
笛の調べ(しらべ)も優れている。」と言われ、

刀を賜わり、身分もそのままで維持されることになりました。

(ちなみに、調の名前の由来は、
先祖が租庸調の税金徴収を担当していたからですが…)

『後白河法皇』と『後鳥羽天皇』は、
「それだけでは気がすまない。」と言われました。

最初にお酒をついでもらった
女官が美しかったと見とれていると、
後白河法皇、後鳥羽天皇が、気が付かれて、
結婚を勧められました。

そして、その女官の待宵小侍従と結婚し、
里に連れて帰ることになりました。

そして、数日後、
先祖をイメージした仏像が、
『徳大寺 実定』より送られてきたそうです。

黒木
これがその仏像です。

ちなみに、この仏像は文化財として、
現在も保管されています。

その後の話しが続くのですが、その話は気が向いた時に。

歴史の話は、動物病院のHPにも書いてあります。(続く)
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